情報過多時代、テレビの本質は誠実なニュースにある~民教協 東京大会レポート③~
編集部
EXシアター六本木にて行われた民教協 東京大会(9月9日開催)のレポート第3回は、パネルディスカッション後半の模様を紹介する。マスメディアが果たす役割のなかで重要な位置を占めるニュース報道。しかし昨今、さまざまな情報があふれるなかでその存在意義が問われている。現代の生活者意識や、今後テレビが取り組むべき課題などを通じて、テレビのジャーナリズムについて意見が交わされた。パネラーは前回に引き続き、上智大学教授の音好宏氏、放送作家の鈴木おさむ氏、サイバーエージェント社長の藤田晋氏、株式会社電通 電通総研 メディアイノベーションラボ統括責任者の奥律哉氏、博報堂DYメディアパートナーズ メディア環境研究所 所長の吉川昌孝氏が務めた。
マスメディアを信じられなくなった生活者
イントロダクションとして上智大学の音氏が、これまでマスメディアがどのように価値を生み出してきたかを解説した。
新聞は、発展する過程で、情報を発信するにあたりその責任を明確にすることで価値を生み出してきた。また、テレビは事実とチェックを積み重ねて報道することに価値を置いていた。その積み重ねのなかで、ジャーナリズムに基づく“信頼”が生まれていったのだ。
しかし、このようなオーソドックスなマスメディアに対して、世の中は信じられなくなっているのではないだろうか。さらにウェブサイトの記事がどんどん無料に寄っていくなか、コストをかけてきっちり取材した情報を提供することには、どんな価値が見いだせるのだろうか。音氏がこのような問題を提起して、パネルディスカッション後半がスタートした。
“ニュース”とは何か? 生活者も作り手も揺らいでいる
放送作家の鈴木氏は、作り手側から見たニュースの扱いについて、現場の状況を語った。鈴木氏によると、ニュース番組がワイドショー化し、逆にバラエティ番組が情報を取り扱うようになっており、特にこの2年で両者の境がなくなってきたという。バラエティで情報を取り上げたところ人気が出たため、この変化が止まらなかったようだ。「何をもってニュースか、という考え方が変わってきている。作り手としては、数字が延びる情報が“良いニュース”になってしまっている」と鈴木氏は語る。
電通総研の奥氏は、40代を境として、下の世代ほどネットを信頼しており、上の世代ほどマスメディアを信頼する傾向にあるというデータを提示。世代間で“ニュース”の捉え方が異なっているため、上の世代は“社会的な現象を伝えるもの”、下の世代は“身近な現象を伝えるもの”と考えているという見解を示した。
ネットはストックメディアで、情報が更新されずに蓄積されていく点にも注目。そのため、一度間違った情報にぶつかると、そこばかりを深掘りしていく恐れがあるという。一方、テレビはフロー型。最新情報を伝え、訂正も利く。良い意味で、振り返ることもできない。「AbemaTVは、ネットでフロー型。ネットで、“今”を伝えることの価値は高い」と評価した。
“たしからしさ”を得たいというニーズ
鈴木氏は、視聴者が番組で“取り上げなかった”情報があることもわかっていると指摘。マスメディアが伏せた情報を、さまざまなネットメディアを通じて容易に取得できるからだ、と。
博報堂DYメディアパートナーズの吉川氏は、「世の中に情報量が多すぎる」と感じる生活者が増えていることをデータで示した。情報が多すぎるがために、生活者は自分にとって必要なモノ・サービス・コンテンツを選び出せないという状況にある。そのため、自分なりのたしかな情報を選んで、それを頼りにする傾向があるという。「“商品名 ステマ”で検索するなど、何らかの方法で複数の情報源を調べて、“たしからしさ”を得ようとしている」と吉川氏は分析する。
テレビに求められるのは“誠実さ”
サイバーエージェントの藤田氏は、先日Jアラートが鳴ったとき、自分は真っ先に(AbemaTVではなく)テレビを見たという。当日、AbemaTVでも毎分視聴数が延びていて、情報番組も編成されたが、反射的にテレビを選んだという。「ネットは混沌としている。リテラシーもまちまち。何を信じていいのかという時代に、テレビが有識者の見解をもとに正しく番組をつくることはとても重要」とテレビへの期待を寄せた。
鈴木氏はこれまでの話の流れを受け、ニュースとは、世の中が頼ったりすがったりするものであり、不安を与えたり煽ったりするものではないと提言。「その誠実さはネットにはないもの。テレビだけが持っているものでは?」と、ニュース報道を大切にすることがテレビの一番の背骨という見解を示した。
考えるべきは、生活者の豊かな生活だ
ディスカッションの終盤には、テレビとネットメディアの共存について話が及んだ。
藤田氏は、インターネットは登場当初、テレビから敵視されていたが現在は違うと語る。「スマホが出てきてから状況は劇的に変わった。テレビは自身の本当の価値を見直し、ネットを生かして取り組むフェーズにあるのではないか」と話す。
音氏は藤田氏の話を受け、AbemaTVが既存の放送局の規模でクオリティの高い報道番組を提供していることに触れた。「テレビとの連携で、ネット空間の荒れ地を耕し、オアシスをつくっていく」と両者共存による未来を展望した。
また、ローカルメディアもそれぞれのミッションを明確に持ち、生活者に何を伝えるかが大切になると提言。それをうまく乗せる“箱”が、ネットかもしれないという。「通信と放送が対立する時代ではなく、生活者がどうしたら豊かな生活を送れるのかを、トータルで考えることが大事」と総括した。
生活者が、さまざまなデバイスとメディアで情報に触れられる時代には「どうやって見てもらいたいか」ではなく、「何を見せられるか」が問われている。メディアの側がその手段にこだわる必要はなく、柔軟な姿勢が求められているのかもしれない。
[前編]AbemaTVが生き残るための「10年計画」~民教協 東京大会レポート①~